まじめな話

今回は至極まじめなお話…というか考えをしたいと思います。


それは、「のび太の将来の人間性」です。こら、そこのボーイズ&ガールズ、特に、よくわかんないけど中国なんか行っちゃてる方々、笑わない。至極まじめです。


以前、ドラえもんの映画ボックスが届き、大はしゃぎして「休日はドラえもん三昧だー!!」とか言ってましたが、土日のお休みで見れたのは結局「のび太の恐竜」だけでした…。夏休みラスト2日。あと、何本見られるでしょうか。


さて、「のび太の恐竜」ですが、いわずとしれた、のび太とピー助の物語です。元々はマンガ原作(てんとう虫コミックス10巻)にその後のエピソード的なものを追加した本作。あらすじ等々は省略します。みんな見て知ってるもんね。知らない人はいないよね?


ドラえもん作品をマンガ・映画と見て、ふと思ったこと。それはのび太が大人になった将来、どのような人間になるのかということです。もちろん、原作等の中で、未来ののび太が出てきますが、ここでは大人のび太人間性について考えてみたいと思います。


注目したいのは、「出会いと別れ」。「のび太の恐竜」では、のび太は見事卵から孵化させ、出会ったピー助と、2度のお別れをします。1度目は大きく成長したピー助を元の時代に帰したとき。2度目は映画のクライマックス、冒険を追え、のび太たちが現代へ戻るとき。この2回です。
この他の映画・マンガでものび太は数多くの友人たちと出会い、別れを経験します。のび太が心通わす友人は、人間だけに留まりません。ピー助もそうですが、恐竜はじめ多くの動物、キー坊やたんぽぽといった植物、捨てられた人形、台風のフー子などといった、ふだん我々が心を通わすことが困難なものでも、のび太は心通わせ、彼らのために時には大人と戦うのです。それに応えるように、ピー助やキー坊ものび太になつきます。


また、最大の友人であり、のび太の理解者でもあるドラえもんとも一時のお別れを経験します。いうまでもないですが「さようならドラえもん」です。未来へ帰るというドラえもんに「いやだいやだ」と泣きながらも、最後には1人でこの先の人生を過ごす決意を固めます。まぁ、すぐにドラえもんとは再会を果たすわけですが。


上記2点、共通しているのはのび太の行動です。お別れを知ったとき、のび太はその事実に涙を流します。時には駄々をこね、泣きわめきます。しかし、その後のび太自身が「彼らのために最善なこと」を考えぬき、気丈に振舞うわけです。「自分は1人でも大丈夫」だと。


のび太は別のエピソードにて「別れ」について考えます(「のび太もたまには考える」)。そのなかで、やがてはドラえもんとも別れがくること、いつまでも子どもではいられないこと、決心してもズルズルと元に戻ってしまう自分、このままの自分ではいけないことを、自分自身の考えとして持っていることがわかります(道具のおかげでこんなに考えてるわけですが)。


以上、いくつかあげたところで、思い出して欲しいことですが、のび太はまだ小学生です。普通、小学生といったら学校で騒ぎ、放課後は校庭で遊ぶなり、家で友人とわいわいしたりなんかして、「別れ」というものは特段意識しません。え、しないよね?してた?
ましてや、親友とも呼べる人たちと完全に別れるなんてことは(特に現代では)そうそうあるもんじゃありません。
ところがのび太はそうしたそうそうあるもんじゃない別れを、数多く経験しています。小学生で、です。そんなのび太が大人になったとき、どのような人間になるでしょうか。
きっと、全てを悟ってこういうのでしょうね。「そんなもんだ」と。え、違う?