飛騨高山

極寒の山中湖キャンプを終え、年が明け春の息吹が漂う3月、今度は飛騨高山へ小旅行。目的は当然、世界遺産白川郷の合掌造り。


飛騨高山ですから、3月とはいえ雪なんか残っちゃってるわけですから、愛車はつれてかない。当初は宿泊予定地から、白川郷五箇山まで愛車でサイクリングってな計画もあったんだけど、現地からの「そりゃ無謀だ」の情報で消滅。よくやった現地!


高山までの移動ですが、もちろん「青春18切符」と「ムーンライトながら」で。ただし、四国サイクリングのときとは違い、自由席になんか乗らなーい。+¥510で優雅な指定席ライフを送ったのです。それはですね、メンバーに新たに(ってほどでもないけど)大の電車好きでゆくゆくはJRに就職しちゃうようなヤツ(一応先輩)がいて、そいつの「なんで自由席なんか乗らなきゃいけないの?」という、四国経験者を小バカにしたような一言でそうなったわけです。ちょっと待て、四国サイクリングに参加してないけど、その移動計画立てたのお前(一応先輩)じゃなかったかい?なぜあのときは、指定席ではなく自由席だったのかい?曰く「だって自分が参加しないから、どーでもよかった。よくやるなーとは思ってたよ。」それを聞いたときのワタクシの「ふんぬーーーー!」の顔といったらもう、大爆笑。


高山についたその日は、時間も時間なので市内観光に終始。さるぼぼやら何やらとたわむれました。でも写真とか見てると、資料館やら考古館やらをまわってるんですよねー。この頃からそっち系に進む気があったのかしら、なかったのかしら。何にも考えてなかったでしょうけどね。

宿泊は市内から少し離れたところにある、メンバーの親戚が作ったというロッジ。BBQなんかしちゃって、しかも飛騨牛という、もうそれはなんとも言いがたいお肉なんかいただいたりしてウハウハしてたわけです。あと、このとき初めて知った「朴葉みそ」!これはおいしかった。朴という枯葉の上に、みそとネギやら野菜やらをのっけて、七輪とかで焼くんですが、おいしかったな〜。帰りには朴葉をお土産に買ったくらいでした。

食後はこのメンバーいつもの余興「使わなかった・余った食材の押し付け合い」も大いに盛り上がったものです。そこはまさに無法地帯。きほん、おばかさんの集まりですから、お風呂を襲撃されたり、寝ようとしているところへの襲撃だったり、さっさと寝て翌日に備えればいいのに。若さですね。……いまでもやりそうで怖いですが……。いやいや、もうみんないい年だし、社会人になってるわけですから、そんなことはしな…いとは言い切れないからヤダ。


さて、翌日はバスで白川郷へと向かったわけですが、事前情報の「愛車での移動は無謀」の意味がはっきりと分かりました。なんかね、山道だし、雪だし、凍ってるしそりゃダメだわ。バスで正解。
白川郷に入るとボランティアのガイドさんがいたりして、いろいろ話を聞くことができました。それに、白川郷の集落は「住居」ですので公開が制限されつつも住民の方と触れ合うことができました。合掌造りの裏側なんかも見れるわけですが、一つも釘とか鉄製品を使ってないんですよね。全て丈夫な紐(縄?)であの大きな合掌造りを支えていました。
季節が季節なので、一面雪景色というわけでもないし、ライトアップされるような季節ではなかったけど、見晴らしのいいところまで登れば、パンフレットにでも載るような(実際乗載ってますが)景色が広がっていました。



今回の旅行の目的は、世界遺産白川郷についてなわけで、当然それに関する調査も行ないました。白川郷の合掌造り集落は、富山県五箇山とともに1995年に世界遺産に登録されましたが、登録までにはいろいろあったそう。登録に反対という人もやはりいたそうです。それでも、登録に踏み切ったのには、莫大な修理費用があったからだそうで。修理費用っていうのかな、忘れたけど。合掌造りは建てればそのまま永続的に住めるわけではなく、何年かに一度、藁の葺き替えという大規模な作業が必要になります。その際には多くの労力と費用がかかります。なんといっても手作業だしね。そこで、その費用を、資料館やら何やらの入場料で補填しようということみたいです。そのためには国内外から多くの人に来てもらわなければならない。一番合掌造りを周知できるのが世界遺産への登録となったらしいです。登録後は観光客も増え、当時の状況としては満足のいくものだったようです。今現在は分かりませんが…。


この旅行から帰った直後から、もう夏の旅行の計画に移ってたわけですが、その行き先はHOKKAIDO。今度は何をしでかすでしょうか、このメンバー。