四国サイクリング

大島サイクリングから1年後。晴れて高校生になり、携帯電話(カメラ機能なし)なんか持っちゃったお年頃。今度は四国へサイクリング旅行。

本当はそれまでにも、鹿児島の内之浦と大分の久住高原を巡るキャンプなんかしてたが、写真がないので割愛。


さて、四国サイクリング。いくらバカな連中でも、横浜から四国までサイクリングしようなんて思っちゃいない。

今回の目的は、広島の尾道から始まり、瀬戸内海の島々をつなぎ、愛媛の今治で終わる「しまなみ海道」を縦断すること。それと観光を兼ねて松山まで足を伸ばそうというもの。


調べてみたら、ちょうど海道の縦断イベントをやっており、これに参加しようとなった。パンフレットをみたら、橋の上からの景色がキレイなこと、キレイなこと。これは楽しみだ。さらにはイベント用のレンタサイクルまであるらしい。なんてすばらしいのだ。


しかし、あまかった…。そうだ、この連中バカだった…し、このメンツは何かが起こる連中だった。


で、旅行当日。学生時の旅行の必須アイテム「青春18切符」とそのお供、「ムーンライトながら」に乗車するため、品川駅に集まったおバカ一行。宿泊用の荷物のほかに、みな肩からさげる大きな荷物。解説しよう、それはチャリ。そう、チャリ。前回の大島サイクリングでわかるように、みんなが乗るのは、在りし日のマウンテンバイク。マウンテンバイクって案外簡単に解体できてしまうのね…。前輪と後輪を外して、サドルやらペダルやらも取り外し、コンパクトにまとめたら、専用のバッグに入れて、ハイ出来上がり。肩に背負えば、移動も楽チン♪……ってそんなアホな。


当時はまだ、「ながら」は全席指定席ではなく、自由席の車両に乗り込む気まんまん。自由席車両に乗ったことがある人はわかると思うけど、そこに広がるのはプチ中国。通路や連結部に座る・寝るは当然(まぁ、もっと後になって、実際の中国の電車事情を聞いたときには、この時がまだ快適に思えるから摩訶不思議。恐るべし中国)。そこに、おおきなザックとコンパクトになったチャリをもって乗り込もうとする我々。そりゃあ、周りの視線が痛いですわな。それでも無理やり席をゲット!チャリもドア付近に縛りつけて、大垣までの6時間を睡眠にあてる。

乗換えを繰り返し、尾道に着いたときにはみんなもうクタクタ・・・。しかし日程の都合上、すぐにでも出発しなければならない。今日中には中間あたりまでいっとかないと。さっそく駅前でチャリ、いや愛車を組み立てる。


一つ目の島は向島。橋でわたるよりも、連絡船でわたる方が楽なので、そちらを選択。島に入ってから本出発。晴れていてすがすがしい。きっと橋の上からはキレイな瀬戸内海が見れるだろうと、ワクワクさせる。

向島のなかを快走中、ちょっとしたトラブルが発生。愛車の組み立てが悪かったのか、タイヤがすれてスピードに乗れない。仕方なく、端に寄せて緊急メンテ。チャリ好きの人間がいたため、そいつに見てもらう。
そのとき、それは起こった。

最初に気づいたのはワタクシ。近くにいる先輩と談笑中、地面が揺れた・・・。
自分「今揺れてます?」
先輩「あぁ、揺れてるね」
自分「でかいんすかね?」
先輩「どーだろーね」
屋外にいて揺れをはっきりと感じるんだから、でかいに決まってる。そんなことに気づかないおバカな連中。周りの仲間も特に気にしていない。目の前では黙々とメンテを続行する可愛い後輩。
自分「結構、強いかもですね」
先輩「そうだね」
自分「横揺れですね・・・。なんか向かいの家の瓦落ちてきてません?」
先輩「・・・灯籠も・・・倒れたね!」
この時点で、相当な揺れに反応。とりあえず車の通行がなかったため、大きめの道路の真ん中に集まる。(←正しい避難方法かは知らない)
揺れがおさまっても、家の屋根からは瓦が落ち続けている。灯籠もいくつか倒れていた。

人生で初めて、名前のついた地震に遭遇した。芸予地震マグニチュード6.7。最大震度6弱。発生時いた向島震度5強
地震大国日本。高校の地学の先生はこう言ってた。「生涯のなかで、1度は必ず大震災級の地震に遭遇する!外れたら、あいつはバカなことを言ってたなと、笑ってくれればいい。」
先生のこの言葉聞いたのは芸予地震のあとだったけれども、それまでよりも地震が怖くなったのは事実だ。

メンテを終わらせ、とりあえずは縦断イベントのチェックポイントへ向かう。で、着いたら「先程の地震因島大橋は渡れません、再開は明日になる」といわれた。じゃあ、どこに泊まろうかと、スタッフの方と相談し、チェックポイントである公園で野営してもよいとのことだったのでその場で宿泊。

翌日は日程の都合上、今治には到着しなければいけない。のんびりと橋の上からの景色を眺めてるわけにはいかないけど、横目でチラッとみて、写真撮るくらいはOKだと思って、またワクワクして目が覚めたら、そこに広がる水たまり。そう、雨。よりによって、一番の見所で雨。もうね、ほんとに、このメンツは何なんだ!

橋は無事に渡れるようになったけど、結局晴れ間はのぞかず、くすぶった瀬戸内海しか見れず。気がつけば今治。縦断終了〜。でも完走記念の盾をもらって大喜び。したら、一緒に車で走ってた指導者も盾をもらって大ブーイング。

翌日は疲れを吹き飛ばして、今治から松山へ。割とフラットな道ばかりで、案外スムーズにつく。すぐに市内観光。松山城地震の被害を受け、石垣とかが崩れていた。天守閣から次の目的地の方向を確認し、出発。

↑目的地はこっちのほう(たぶん)

目的地は温泉。松山で温泉とくればもちろん「道後温泉」。日帰り入浴も可能なので、ここぞとばかり、疲れを癒す。


最終日は帰るだけ。電車組と車組に分かれる。電車組はもちろん青春18切符を使い、延々と帰ってくる。普通に1分乗換えとかあり、気が抜けない。しくじったらその日のうちに帰ってこれない可能性まである。車組と今生の別ればりに集合写真で別れを惜しむ(十数時間のお別れだけど)。でも、このメンツで普通の写真が撮れるはずはない。押し合いへし合いは当然。動きのある写真は取れるけど、静かな写真は撮れない、そんな連中。
車組とは相当な時間差があったけど、ちゃんと帰ってこれました。


おバカ連中との旅はまだまだ続きます。

旅行記は長くなりすぎるので、次から分割にしようかな。